書肆侃侃房 新聞・雑誌掲載情報(2017年8月)

長崎新聞(8月1日) 『子らと妻を骨にして』

《長崎原爆で妻と3人の子どもを失った長崎の俳人、故松尾あつゆきさんと家族を描いた漫画『子らと妻を骨にして』が被爆72年となる8月9日、発刊される。〔……〕戦時中、不自由な中でも家族に囲まれ穏やかに暮らしていた日々、8月9日の夜に焼け野原で妻子を探し回った様子、自ら家族を火葬したこと、大けがを負った長女みち子さんの体験などが丁寧に描かれている》

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・読売新聞(8月4日) 『子らと妻を骨にして』

《松尾が原爆投下後の焼け野原で家族を捜し回り、自ら火葬するなどした体験を漫画で紹介し、重傷を負った長女のみち子さんの手記に基づく物語も掲載。3日に長崎市役所で記者会見した平田さんは「漫画を通じて、若者や子育て世代など幅広い年代の人に原爆の恐ろしさを知ってほしい」と話した》

大分合同新聞(8月13日) 『子らと妻を骨にして』

長崎県在住の漫画家・奈華よしこが、原爆の脅威に翻弄されながらも強く生き抜く家族の物語を漫画で再現。心に響く一冊を完成させた》

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朝日新聞(8月14日) 『子らと妻を骨にして』

《松尾さんと親子3代はどう原爆と向きあったか。そんな家族の物語が、やわらかなイラストと句でつむがれる。〔……〕執筆にあたっては、俳句をちりばめながら、松尾さんの内面を描くことに努めた。長女みち子さんとその子、平田周さんがそれぞれの視点で原爆と向きあう姿も描き、原爆と家族3世代の物語に仕立てた。〔……〕「漫画にすることで、より広い層に触れてもらいたい」と話す》

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マガジン航(8月17日) 「福岡の出版社、書肆侃侃房の挑戦」(積読書店員ふぃぶりおさん)

「街」で出版をすることの意味、その矜持と覚悟を垣間見ることができた。ローカルという意味での「まち」が、今後の出版や書店に携わるものにとってのキーワードになること(事実なっていること)は間違いない。田島さんがおっしゃった「楽しくないことはつづかない」という台詞が耳から離れない。ネット書店、そして電子書籍の「時代」になっている現状ではあるが、ひとの手のぬくもりを介した商業形態も生き残っていくことを、私自身は強く願っている。業界の暗さを嘲笑する声ではなく、具体的にかつ楽観的に(ただし現状は冷徹に判断したうえで)「本を読む場」と「本を手に入れる場」が提供されるために、諦めることのない“声”を上げ続けたい》

福岡の出版社、書肆侃侃房の挑戦 « マガジン航[kɔː]

 ・ポルトガル便り(第53号) 『ポルトガル物語』

イベリア半島の端っこの小さな漁師町は最高に素敵な舞台だった。極楽市場に集うのは、人と花と笑う犬。〔……〕愛しく切なく、かけがえのない日々》

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西日本新聞(8月18日) 『別府フロマラソン』

《別府の歴史に関する内容も盛り込まれ、読めばかなりの「別府事情通」になれる一冊。〔……〕澤西さんは「別府は小説を超えるほどのおかしな街。別府の人は当たり前のように思っているが、それが魅力になっている。別府にささげる作品です」と話す

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毎日新聞(8月20日)「カバーデザイン」 『別府フロマラソン』

《表紙カバー(装画:藤沢さだみ)には、血の池地獄別府ラクテンチなどの名所が湯煙に浮かぶ。「ミャア」の一声でマラソンスタートを告げるネコのメイの姿も》

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・CREA(2017年9月号) 『優しい嘘』

《母と姉妹2人、裕福ではないものの平穏に暮らしてきたはずだったある日、妹のチョンジが遺書も残さず突然自ら命を絶った。家族に関心の薄かった姉のマンジも妹の死の理由を探り始め、チョンジがいじめにあっていたと知る。その頃、いじめっ子の少女、ファヨンも実は精神的に追い詰められていて……。少女たちの心の揺れをほろ苦く描く韓国文学》

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・CREA(2017年9月号) 『ひとさらい』

《ひとは言葉によって自由になれる気がします》

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図書新聞(9月2日)評者=渡辺直紀さん 『優しい嘘』

《人と人のつながりの重い相関を、作者は軽快かつ明快な文体で描いていく。チョンジの死に遭いながら、母親や姉のマンジはつねに前向きで快活なのも、この手の物語では特異だ。そう考えると、現代韓国のヤングアダルト=青少年小説とは、その昔の教養小説のように世界の不条理を前提としていながらも、主人公の成長や克己よりは、なにか別の高みを目指しているのかもしれない。そのような、現代韓国のヤングアダルト小説の現住所を考えさせてくれるのが、この作品である》

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現代詩手帖(9月号)「うたの聴こえるところまで」評者=野口あや子さん 『白猫倶楽部』

《社会の枠組みや意味づけの重力からくるりくるりと猫のように身をかわす言語感覚が美しい》

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朝日新聞(8月30日) 『別府フロマラソン』

別府温泉をめぐる巡る架空のレースなどを通じて、ユーモアたっぷりに地域の魅力を書き下ろした》

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パルコブックセンター吉祥寺店さんにて『東京の森のカフェ』のパネル展が開催中です!

パルコブックセンター吉祥寺店さんにて『東京の森のカフェ』のパネル展が開催中です!7月末までの期間、ぜひお立ち寄りください。

 『東京の森のカフェ』、そのほかの書店さんでもご好評いただいております。

 

  

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ブックファースト新宿店さんです。

書肆侃侃房 新聞・雑誌掲載情報(2017年7月)

西日本新聞(7月9日)「論説委員の目」(岩田直仁さん) 『牢屋の鼠』

《巧みな暗喩で権力による抑圧と暴力への怒りが織り込まれている。〔……〕田島さんは劉氏の詩に「人が人に支配される悲しみと怒り」の声を聞くという。私たちにもきっと聞こえるはずだ》

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神戸新聞(7月16日) 『聖地サンティアゴへ、星の巡礼路を歩く』

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婦人公論(8月8日号) 文学ムック『たべるのがおそい』

《私たちの誰もが抱えている苦手なこと、ちょっとした弱点や欠点を無かったことにせず、軽やかに受けとめ直していこうとする試みが、ここに文学として豊かに実現されているのだ。応援していきたい》

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・波(7月号)「サイン、コサイン、偏愛レビュー」(瀧井朝世さん) 『あひる』

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大分合同新聞(7月26日) 『別府フロマラソン』

「非日常が日常である別府を描きたかった」「地元の人には知っている場所の魅力を改めて感じてもらい、他県の人には別府の面白さを知り、興味を持ってほしい」との著者・澤西祐典さんのコメントが紹介されています。

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朝日新聞(7月27日)「担当記者が選ぶ注目の論点」 「劉暁波のこと」(田島安江

《妻を思う詩から、最後まで非暴力で戦った劉氏の主張を読み解いた》

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朝日新聞(7月27日)「論壇委員が選ぶ今月の3点」(遠藤乾さん) 「劉暁波のこと」(田島安江)

《非暴力を貫きながら、あくまで言論で自由と民主を希求した彼の感性、妻へのあふれんばかりの思いの一端に触れることができる》

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西日本新聞7月28日) 「劉暁波が伝えようとしたもの」(田島安江)

劉暁波は言葉の人であった。共産党一党支配に異を唱え、民主化を訴えてきた。〔……〕私は何度も読んだ彼の詩集『牢屋の鼠』を開く。詩は彼の精神と思想の根幹をなしていると思う》

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 ・世界日報(7月30日)評者=増子耕一さん 『優しい嘘』

《緻密な構成で、細部の表現がリアルで見事。庶民の貧しい暮らしぶりにも現代の韓国社会が映し出されている》

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書肆侃侃房が発行している無料の冊子『ほんのひとさじ』最新号が完成しました。第6号の特集は「つぶやき」です。

書肆侃侃房が発行している無料の冊子『ほんのひとさじ』最新号が完成しました。第6号の特集は「つぶやき」です。

【短歌】 白井健康/松村由利子/杉谷麻衣/倉阪鬼一郎/鈴木美紀子/竹中優子/佐藤涼子佐藤弓生/今橋愛/蒼井杏/大西久美子/吉野裕之/虫武一俊/國森晴野/岡井隆/川野里子/岸原さや

【特集】 松村由利子/井上瑞貴/川野里子/倉田タカシ/相川英輔/船田崇/谷内修三/岸原さや /中野善夫/千葉聡/ノリ・ケンゾウ/岡井隆東直子/秦ひろこ/佐藤弓生/平岡直子/大前粟生/本多忠義/鈴木晴香/吉貝悠/蒼井杏/竹中優子/吉貝甚蔵/佐藤涼子/望月裕二郎/青目海/竹内亮/國森晴野/伊舎堂仁/山本博昭/大西久美子/田島巳起子/東恭子/高原英理/田島安江/西崎憲

【特別寄稿】 積読書店員ふぃぶりお、梅﨑実奈(紀伊國屋書店新宿本店)、池上規公子(葉ね文庫)

ぜひ手に入れて、お読みください。

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『別府フロマラソン』刊行記念として、澤西祐典さん(『別府フロマラソン』著者)と岩尾晋作さん(カモシカ書店)のトークイベントが開催されます!

〝湯のまち・別府を走り抜ける痛快ユーモア小説〟である澤西祐典著『別府フロマラソン』が7月下旬に刊行になります。

それを記念して、刊行記念トークイベントが開催されます。

 

■『別府フロマラソン』刊行記念トークイベント

澤西祐典(『別府フロマラソン』著者)×岩尾晋作(カモシカ書店)

日時:2017年8月6日(日)15時開演(開場14:30)
場所:冨士屋一也百ホール はなやもも大分県別府市鉄輪上1組)

※イベント終了後に懇親会を予定

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『別府フロマラソン』
澤西祐典著
定価:本体1300円+税
四六判並製160頁
ISBN978-4-86385-271-6

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劉暁波のこと(田島安江)

 中国のノーベル平和賞受賞者の劉暁波が末期の肝臓がんで病気療養のために、刑務所の外で治療を受けているというニュース、しかも妻劉霞が寄り添う様子の画像や映像まで流されている。危機的状況なのは変らない。まさに、訳詩集『牢屋の鼠』の中の次の詩のようではないだろうか。追い詰められた二人の様子を思う。

 

 断崖絶壁――妻へ 劉暁波  1996.12.15

 

僕は断崖絶壁に追い詰められている

鋭い岩が肌に突き刺さる

ある指令が僕を奮いたたせ叫ばせ

世界に向けて最後通牒を発する

 

僕は立ちあがれるけど叫べない

僕は叫べるけれど立ち上がれない

まっすぐ伸ばした体は硬直し

狂気の叫びはねじ曲げられる

 

深い淵は険しく鋭くえぐられ

真正面からの挑戦は拒まれる

体の極限とは二者択一しかない

絶対の指令が両者を兼ね備えられたらよいのだが

 

選べるのは、何も考えずにただ踏んばること

まっすぐに立って叫び、骨を粉にして身を砕くか

または深い淵に屈服するか

巨大な青空がもう押しつぶしにそこまでやってきている

 

つぎは、「詩と思想」2014年11月号に発表したものの再掲です。

 

詩は世界を変えられるか

 詩集『牢屋の鼠』が問いかけるもの

                              田島 安江

 

 劉暁波は、中国人権活動家で作家だが、彼が優れた詩人であることはあまり知られていない。中国では、彼の詩は殆ど読まれていないからだ。暁波は2008年、中国民主化を求める「〇八憲章」起草の首謀者とみなされ、直前の12月に当局に逮捕・拘束される。「国家政権転覆扇動」罪で11年の刑が確定し、収監中の2010年10月にノーベル平和賞の授賞が伝わるが、中国側はそれに反発。中国はそれまでノーベル賞の受賞歴がなかった。一番待ち望んでいたはずのノーベル賞にもかかわらず、国民に知らせることもなく、あくまでも認めないという選択をした。世界中の人からの嘆願書も無視され、とうとう、暁波の出獄も授賞式出席も叶わなかった。劉暁波のために用意された空っぽの椅子こそが中国における言論の自由の不在証明にほかならない。

 

 妻の劉霞は、以来ずっと自宅軟禁状態で、アムネスティーの報道によると、友人の訪問も、自由に出かけたり買い物に行ったりすることも禁じられているらしい。2014年1月に心臓発作を起こした時も、適切な治療を受けられなかった。最近の報道では、なんとか治療を受けられるようになったが、極度の精神的ストレスの状態だという。本人が望んでいるのは、暁波との手紙のやりとりと、外に出て働くこと。

 

今回、無謀にも中国語の翻訳という作業に取り組んでみてわかったことがある。辞書を引く楽しみ。納得できる言葉にであった時の、言葉を紡いでいく時の興奮。まるで自分の詩を書いているときのようだった。言葉の動きが気になる。こんなふうに言葉が動いていくはずがない、と。私は詩を訳しながら、暁波と霞、二人の濃密な世界へと踏み込んでいった。あがき苦しみながら、詩の行間に潜む、小さなささやきや嗚咽、ため息を聞こうとした。そこに潜む裂け目のようなものを覗くことで、深い闇の底に沈む言葉を拾おうとした。

今年6月4日に25年を迎えた天安門事件。テレビや新聞のニュースは心痛むものばかり。香港や台湾では、デモやコメントが流され、当時の映像が日本のニュースでも報道された。広場に集まった若者を銃弾が襲い、倒れた若者を戦車が轢いていくという、目をおおうような光景だった。

 

牢屋の鼠

 

一匹の小さな鼠が鉄格子の窓を這い

窓縁の上を行ったり来たりする

剝げ落ちた壁が彼を見つめる

血を吸って満腹になった蚊が彼をみつめる

空の月にまで魅きつけられる

銀色の影が飛ぶ様は

見たことがないぐらい美しい

 

今宵の鼠は紳士のようだ

食べず飲まず歯を研いだりもしない

キラキラ光る目をして

月光の下を散歩する

 

 この詩をどう読むか、反応はまちまちだった。例えば「鼠」。劉暁波その人のことだと思う人が圧倒的に多い。一匹の小さな鼠は、いかにも牢獄に囚われている人にふさわしい。だが、この詩にはもっと深い意味があるように思える。剝げ落ちた壁も、血を吸って満腹になった蚊も、彼を見詰めている。彼は、どこにも行けない。鼠は誰なのか、見張りともとれる。別の詩に出てくる鼠は間違いなく、見張りなのだから。今宵の鼠は紳士だ。あまりにも月が美しいので、ただ、彼を見詰めているだけ。彼の心を知っているのは、全てを知り尽くした剝げ落ちた壁だけなのかもしれない。

 

 この詩集はほとんど全篇が妻の霞に捧げるというカタチをとっている。暁波は、たった一人に向かって書いている。その一人とは、全世界の悲しみを引き受けてしまった、かなしい人一人ひとりなのだ。暁波が差し出す詩は、愛の詩のカタチをとっているために、妻のための愛の詩として読まれ、その深い意味が見過ごされてしまいがちだ。

彼が起草したとされる「〇八憲章」の論旨は、共産党一党支配をやめること、民主化を進めることだ。中国という国の現状をみる限り、暁波らの主張は共産党支配者にとって、危険極まりなく、脅威そのものだろう。

 暁波は詩の行間に、巧みに主張を織り込んでいる。時に誰もが知っている海外文学のフレーズや文学者への呼びかけを使って。

 

逃避への渇望————妻へ

 

逃亡を夢想することを許されるなら

僕はすぐさま君の足元に横たわりたい

それは死に絡むことを除いて

たった一つの義務であり

曇りなく明るく澄み渡った鏡のような時間

永遠の幸福でもある

 

君の足指は折れたりしない

一匹の猫が君のすぐ後ろについている

君のために猫を追い払ってあげたい

振り返った猫が

鋭い爪を伸ばそうとする

ブルーの目の奥に

監獄があるかのようだ

もし僕がためらいなく踏み出したら

たとえ小さな一歩でも

君を一匹の魚に変えてしまうだろう

 

驚愕————妻へ  (部分)

 

驚愕は一つのうそからはじまる

二つの空のコップ

血痕をきれいに拭き取った広場は

もっと裸の女に似ている

部屋を掃除しながら証拠を廃棄し

記憶を片づける

窓は海から遠く離れ

突然空が残酷に白み

ホコリと詩の間の盾になる

人々がただ笑っている

どうか存分に笑うがいい

 

 これらの詩篇には、巧みに天安門広場で起こったことと、それを隠蔽し、何もなかったかのように口を拭った当局への批判が込められている。「記憶を片づける」ことなど、誰にもできはしない。

 

もう一度花嫁になるーー僕の花嫁へ

 

君はもう一度花嫁になる

まるで本の一ページを書き始めるときのようだ

その一ページは僕のまなざしを導き

見通せない本を突き抜ける

 

一回目の赤い結婚証明書は

時間が経つにつれ色あせるが

白黒の写真だけは

依然鮮明である

 

僕たちの結婚式には証人がいない

法律の保証もない

神に注目されることもない

砂漠に立つ一本の樹のようだ

 

僕らの寝室は一間しかない囚人室だ

僕らは抱擁しキスをする

警察の監視の目が光っている中

隠れようのない場所で僕らは交わる

 

ただ僕らの内心は狂気を帯びたままだ

僕たちにもう一度訪れた新婚の夜

涙を流し、嗚咽しながら

君のために「嵐が丘」を朗読する

 

この詩は、あまりの切なさ、かなしさに耐えられない気分にさせられる。これほどの絶望と愛と怒りがあるのだろうか。何より、人が人に与えうる残酷さ、そしてそれに逆らう術のない人間の弱さ。「狂気を帯びたまま」でなくては耐えられまい。

 

 劉暁波の戦う姿勢は言論つまり、あくまでも非暴力によってである。言論には言論で応じるべきではないか。読みたいものを読み、書きたいものを書きながら、語らい、慈しみ合うという、夫婦としての日常はいま、どこにもない。「人も殺さず、盗みもせねど……」というロシア民謡「囚人の歌」の歌詞が浮かぶ。暁波の詩には、日常がそのまま、現れる。お茶のグラスや煙草、埃やお酒など、二人の日常が静かに語られ、また、それがいつしか、追憶のシーンとなっている。彼らにあってしかるべき日常を取り戻すために、私たちに出来ることはないだろうか。

 

 彼の詩が含んでいるのは、たぶん、ある種の人々にとっては猛毒である。一瞬にして、人を死に追いやるだけの強い力を持っている。愛と渇望、絶望と恐怖と狂気、そんなものがないまぜになった、きわめて毒性の強い言葉が使われている。

 人はどこまで精神的に強くいられるだろうかと、考えさせられずにはいられない。言葉が人々に与える影響の大きさも。どの詩も完成度が高く、鋭い言葉がぐさりと心を刺す。ほとんどの日々を牢獄で暮らす劉暁波が耐えていられるのは、詩があるからではないか。

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*『詩集 牢屋の鼠』(劉暁波)書誌情報は→

http://www.kankanbou.com/kankan/?itemid=556