つれづれkankanbou

福岡の出版社「書肆侃侃房」の日々をつづる。

今村夏子さんの『あひる』がやってきた

出版社をはじめてから、思いがけないことがたくさん起こる。文学ムック「たべるのがおそい」を創刊できたこともだが、そこから今村夏子さんの『あひる』が生まれたこともだ。思いがけず芥川賞にノミネートされたとき、こんなことが起こることもあるのかと驚き、つづけていればこんな恩寵のようなことが訪れるのかとうれしかった。

 

ずっとメールでやりとりしていた今村夏子さんから、初めて電話をもらった日のことは忘れられない。「芥川賞候補」になったことをマスコミ公表するときに、「書肆侃侃房と田島さんを連絡先にしていいか」という問い合わせだった。わたしははじめて耳にする今村夏子さんのちょっとあまくゆったりした声のトーンに魅了された。はい、もちろんですと答えたのだったが、それはまだ、めまぐるしくいろんなことがおきる前ぶれにすぎなかった。

そのとき、あ、この作品を書肆侃侃房で出版することもありうるのだという思いが一瞬頭をかすめた。

わたしは「たべるのがおそい」に寄稿された「あひる」という作品がとても好きだった。それでおそるおそる聞いてみた。「芥川賞に選ばれても選ばれなくても、書肆侃侃房から出版してくださいませんか」と。「えー、ありがとうございます。うれしいです」と今村さんの甘い声が返ってきた。

 

「あひる」は。文章の流れがとてもスムーズで、安心して読めるし、とてもいい作品だが、どんなにゆったり組んでも一冊になるボリュームではなかった。

「もし単行本にしていただくとしたら、作品を足さないといけませんよね。いつまでに書けばいいですか」と今村さんは尋ねた。

寡作だと知っていたので「もしクリスマスプレゼントに間に合えばうれしいけど、無理ならいいです。待ちますよ」とわたしは答えたのだった。「がんばってみます」と、今村さんは言ってくれた。

 

そして、8月31日。まだ途中なのですが……と、今村さんから、二章のつもりという原稿がメールで届いた。「森の兄妹」のほうだ。一章とのつなぎがうまくいかないから一章はあと少し待ってくださいという。ほんとうに9月半ば、こんどは一章のほうが届いた。「おばあちゃんの家」だ。たしかに少しつながりが悪い。うーん、一章と二章をつなぐ何か、か、人かあれば……などとメールでのやりとりが続き、結果的には今の連作短編の形になって、落ち着いたのだった。

読んでいると、ふたつの作品が呼応しあって、とてもいい。

 

今村夏子さんは「おばあさん」や「子ども」の描き方がとてもうまい。読んでいるとおばあさんや子どもたちがくっきりと像を結んでくる。わたしも亡き祖母と対話している気になった。

 

こうして単行本づくりの作業がはじまった。装画の重藤裕子さん、装丁の宮島亜紀さんもがんばってくれて、11月14日に最初の荷物が届いた。今村さんがクリスマスに間に合わせてくれたのだ。書肆侃侃房にとって、素敵なプレゼントだった。