書肆侃侃房15周年

今日は4月1日。ふだんだと、桜は満開もしくは満開を過ぎてはらはらと散る季節なのに今年はまだまだ寒い。開花宣言はあったけど、日々見ている桜の木のつぼみはまだ硬い。あわてんぼうでもう開いている木もある。ほとんど同じ条件のはずなのに開花の様子がちがう。桜でさえそうなのだ。遅咲きの桜のように人生半ばを過ぎて、出版に手を染めたものもあっていいだろう。そんなことを思いながら会社にきた。休みなので、誰もいない。

 

書肆侃侃房を始めてから15年になる。老舗出版社からすればたかだか15年と思われるかもしれないが、出版不況まっただなかに始めた15年はやはり、簡単なひとことで片づけられるものではない。

 

本づくりだけを言えば足掛け40年にはなるだろう。毎日が戦いなので、反省したり、振り返ったりする時間がないのだ。好きなことと仕事がいっしょなのだから、当然、ほとんどの日々が本にまつわることにとらわれていることになる。新しい著者との出会いが常にやってくる。もちろん、長い付き合いの著者も多い。

 

思えば、出版を始めたころ、書店に挨拶に行くのも棚をみるのも勇気がいった。出版をするということは本を売るために書店に足を運ばなければならないということなのはわかっている。「わたしは本づくりだけしていたい。営業なんて無理」とずっと思っていたので、出発が遅れた。最初のころは書店に行くたびに本当にめげた。誰ひとり書肆侃侃房を知らないのだから。

出せる本も無名の著者のほぼ初めての著書が多い。どの棚をみてもここに入れてもらえるかなあ、とつい気がひけてしまう。それでも東京や大阪の書店では、名刺を出すと「まあ、福岡からですか。ご苦労様です」と言ってくださる方や、ちょっとだけ手を休めて話を聞いてくださる方も・・・。

 

今は少しちがう。この、読めない、書けない出版社名「書肆侃侃房」を口にすると「ああ、かんかんぼうさんですね」と言われるようになった。それはみんな、今までこの小さな名もない出版社から本を出してくださった著者と、買って読んでくださる読者のおかげなのだ。

 

著者がまた、別の著者を紹介してくださることも多いし、突然メールで未知の方から出版の問い合わせもいただく。今は350冊を超えた。作った本は、私家版や編集だけの本も入れればゆうに400冊にはなるだろう。

 

人と人がつながっていく、この不思議な感覚。もともと、本はそんな役割を担っていることを時に思い出す必要がありそうだ。