つれづれkankanbou

福岡の出版社「書肆侃侃房」の日々をつづる。

8月9日を忘れないために

 今年も8月9日がやってきた。被爆72年。松尾あつゆきさんの原爆句が心をよぎる。先週訪れた長崎市立図書館では、山端庸介生誕百年記念写真展が開かれていた。長崎に原爆が投下された翌日の8月10日に市内に入り、写真撮影をした人だ。日本軍のカメラマンで当時の写真はモノクロ。そのとき、福岡の画家山田栄二も同行、詳細なメモをとっている。モノクロ写真は、真っ黒に焼け焦げた写真だったり、崩れ落ちた瓦礫の山だったりするのだが、山田のコメントによって、そこに赤い血の跡、焼けてくすぶる建物の赤い炎などの色彩が加わり、イメージが広がっていく。米軍が長崎に入り撮影したのは1カ月もあとのことで、そのころにはいくらか、崩壊した道路や線路、建物が少しずつ片付けられていて、生々しさは減っている。

 写真をみながら、思いは、初めて読んだ『原爆句抄』へと戻っていった。この衝撃的なタイトルの自由律俳句の数々に心をつかまれた私は、『原爆句抄』の復刊を決意することになった。ここから、著者で俳人の松尾あつゆきさん、原爆に遭いながらも一人だけ助かった長女のみち子さん、その長男、平田周さんとの長い旅が始まった。

 

 炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

 あわれ七ヶ月のいのちの、はなびらのような骨かな

 まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる

 なにもかもなくした手に四まいの爆死証明

 

 この句集の復刊で何度か長崎を訪れたとき、実は、平田さんの希望は英語版をつくることだと聞かされていた。生前、あつゆきさんは、手記を英文にしてあり、それが残っていたのだ。英語教師でもあった祖父あつゆきさんの希望をなんとしてでも叶えてやりたい、それが平田さんの強い願いだった。英語版にして、全世界の人に原爆の悲惨さを伝えたい。それが、理不尽に命を絶たれた、妻と三人の子へのオマージュであり、心に秘めた悲願だった。もちろん、残された数枚の英文だけでは本にならない。英語版の一冊の本にするには、もっと多くの英文が必要だ。

 考えられたのは、英語版にするための物語が必要だろうということ。で、平田さんに、この句集のほかに、もう一冊、平田さんがわかるかぎりの家族の物語を書いていただけませんか、といってみた。おりしも、その年、被爆70年の節目でもあった。わずか2年前のことなのに、はるか昔のことのように思える。本など書いたことのない平田さんに無謀な要求をしたのはわかっていたが、それぐらいの覚悟がなければ、とも思ったのだった。平田さんは見事にその思いに応えてくれた。さすが、松尾あつゆきの孫である。

 こうして、2015年の8月9日、『このかなしき空は底ぬけの青 消せない家族の記憶1945・8・9』ができあがった。

 それでも、英語版は右から左というわけにはいかない。英語版を出版してくれる欧米の出版社を探さなければならない。

 私はあきらめたくなかった。では、どうすれば実現するか。次に思いついたのは漫画にすることだった。漫画なら、出版してくれる欧米の出版社がみつかるかもしれない。そうだ、長崎に知り合いの漫画家がいる。奈華よしこさん。彼女とは長い付き合いだったが、このところ、あまり描いてはいないらしい。彼女に、まず読んでみて、と、この二冊の本を送った。そしてもし漫画にしてみたいと思ったら、知らせて、と伝えた。

 彼女は泣きながら読み、漫画にしてみようと、思ったと手紙が届いた。特にみち子さんの思いを共感したといってくれた。平田さんと一緒にお会いした。彼女は、全部手描きなので時間がかかる、といわれた。つまり、パソコンを使わないのだ。

 少しずつネームが届き、さすが漫画というページが仕上がっていく。何度かの打ち合わせのあと、きれぎれに原画が届いた。8月9日を目前にして、一冊にしあがった本を前にしたとき、みんなで作り上げたという、言葉にはできない達成感があった。

 みんなの努力は報われ、形になった。

 漫画本のタイトルは『子らと妻を骨にして 原爆でうばわれた幸せな家族の記憶』。あつゆきさんの家族は平田さんの孫まで数えれば5代目である。平田さんでさえ、若いときは、「祖父や母の原爆への強い怒りや主張をほとんどわかっていなかったと思う」といわれる。だからこそ、後世に伝えなければ、と。

 私に平田さんとの橋渡しをしてくれたのは橋場紀子さん。そして、打ち合わせはいつも喫茶「ニューポート」。訪れるたびに特別の予約席を提供してくださるマスターの坂口末之さんは、私と同学年。今では同志のような存在である。

 

 広島の8月6日、長崎の8月9日は、私たちにとって重く切ない日である。

 

f:id:kankanbou2002:20170809191756j:plain

 <書誌情報>

・『原爆句抄』松尾あつゆき

・『このかなしき空は底ぬけの青 消せない家族の記憶1945・8・9』平田周

・『子らと妻を骨にして 原爆でうばわれた幸せな家族の記憶奈華よしこ/原著 松尾あつゆき・平田周