詩と文学のお祭り「福岡ポエイチ」が開催されました!
詩と文学のお祭り「福岡ポエイチ」が、6月10日(土)と11日(日)に開催されました。
会場は、リノベーションミュージアム冷泉荘。
一日目の書肆侃侃房ブースの様子がこちらです。『たべるのがおそい』最新号、河合隼雄物語賞受賞作の『あひる』(今村夏子)、刊行されたばかりの『優しい嘘』(キム・リョリョン)など、どーんと並べました。
会場、盛り上がっていましたよ。
ちゃぶ台スペースでは、来場者のみなさんが歌をつくられていました。テーマは「短歌の世界を覗いてみよう」。
二日目は、現代短歌シリーズを前に置いてみました。無料の冊子も配布していましたよ。
ゲストの東直子さんの講評もありました。
ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました!!
『ちぇっくCHECK』vol.1で、金原瑞人さんに『アンニョン・エレナ』をご紹介いただきました!
『ちぇっくCHECK』vol.1に、金原瑞人さんによる『アンニョン・エレナ』(キム・インスク/和田景子訳)の書評が掲載されました!
「本当に驚いた。なにより文体が素晴らしい。べたっとした現実感があるかと思えば、ときにユーモラスで、あちこちに思いがけない鮮やかなイメージが錯綜し、はっとするような比喩が飛び交う。(……)短編小説を読む楽しみにあふれた一冊だと思う」
ありがとうございます。
『ちぇっくCHECK』vol.1にはほかに、昨年ブッカー国際賞を受賞したハン・ガンの書簡インタビューや、平野啓一郎さんの『世界の果て、彼女』(キム・ヨンス)評、姜信子さんの『生姜』(チョン・ウニョン)評、斎藤真理子さんの『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ)イベント報告、石橋毅史さんの韓国書店紹介などが掲載されています。読み応えのある読書ガイドです。書店で配布されているようなので、ぜひお読みください。
新潟日報(2017年5月28日号)で、金原瑞人さんに鈴木美紀子著『風のアンダースタディ』をご紹介いただきました!
新潟日報(2017年5月28日号)で、金原瑞人さんに鈴木美紀子著『風のアンダースタディ』をご紹介いただきました!
「世界との違和感、もてあます自分、物語になりそうでならない夢、それらを鮮やかに捉えた鈴木美紀子『風のアンダースタディ』(……)つい心をゆだねたくなるかすかな温かさと、ふっと足をすくわれそうな涼しさ。「肌寒さ+2度」の感じ? ちょっとグリム兄弟に読んでもらって感想をききたい」
ありがとうございます。
不思議なめぐりあわせ
新しい短歌レーベルがスタートした。「ユニヴェール」は宇宙の意味。短歌の壮大な宇宙にちりばめられた歌集たち。その第一号は白井健康さんの『オワーズから始まった。』である。白井さんに初めてお会いした時、彼が獣医師であり、宮崎で口蹄疫が猛威を振るったとき、膨大な数の牛たちを殺戮する現場に立ち会ったその人たちの一人であると知った。
「オワーズ」とは、口蹄疫のO型ウイルスが初めてみつかった場所であり、それをタイトルに据えたのだ。
そのとき、わたしの脳裏にまざまざと蘇る光景があった。口蹄疫が終息したばかりのある日、宮崎県西都市の橋田和実さんからの依頼で、口蹄疫の記録をまとめた『畜産市長の「口蹄疫」130日の闘い』を出版することになった。
その本には、マスコミシャットアウトで行われた殺戮の生々しい現場写真も含まれていた。ブルーシートの上に並べられ、土をかぶせられて埋葬される牛の写真。牛の頸動脈に注射針を打つ、獣医師。埋葬地につれていかれた牛は頸静脈に注射されると10~20秒で息絶え、どさっと倒れる。その死体をクレーンでつりさげ、穴の底に並べていく。その繰り返し。作業中は神経がマヒし、坦々と仕事をつづけるが、夜寝るとその光景がいつまでも去らず、眠れない夜がつづいていたと、地元の獣医師が語ってくれた。そこに白井さんもおられたのである。
倒れゆく背中背中の雨粒が蒸気に変わる たましいひとつ
たくさんのいのちを消毒したあとの黙禱さえも消毒される
三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う
死はいつもどこかに漂う気のようなたとえば今朝のコーヒーの湯気
死ぬときは目方がわずか減るというたましいなども昇華してゆく
一日牛は300~400頭、豚は1500~2000頭のペースで殺戮が行われたという壮絶な現場に立ち会ったからこそ生まれた、獣医師白井さんの歌は、特別の意味を持っている。
もう一つ。偶然があった。口蹄疫の本の打合せのために宮崎へ向かう途中、高速道路のサービスエリアで私は一本の電話をかけた。かけた相手は加藤治郎さん、未知の人であった。笹井宏之さんの歌集出版の相談のためのその電話で加藤さんと東京でお会いする約束をした。すべての歌集出版の糸口が出来たのである。
白井さんの歌集を編みながら、わたしはその偶然の不思議さを思った。すべてはどこかでつながっているのだろうか。
書肆侃侃房15周年
今日は4月1日。ふだんだと、桜は満開もしくは満開を過ぎてはらはらと散る季節なのに今年はまだまだ寒い。開花宣言はあったけど、日々見ている桜の木のつぼみはまだ硬い。あわてんぼうでもう開いている木もある。ほとんど同じ条件のはずなのに開花の様子がちがう。桜でさえそうなのだ。遅咲きの桜のように人生半ばを過ぎて、出版に手を染めたものもあっていいだろう。そんなことを思いながら会社にきた。休みなので、誰もいない。
書肆侃侃房を始めてから15年になる。老舗出版社からすればたかだか15年と思われるかもしれないが、出版不況まっただなかに始めた15年はやはり、簡単なひとことで片づけられるものではない。
本づくりだけを言えば足掛け40年にはなるだろう。毎日が戦いなので、反省したり、振り返ったりする時間がないのだ。好きなことと仕事がいっしょなのだから、当然、ほとんどの日々が本にまつわることにとらわれていることになる。新しい著者との出会いが常にやってくる。もちろん、長い付き合いの著者も多い。
思えば、出版を始めたころ、書店に挨拶に行くのも棚をみるのも勇気がいった。出版をするということは本を売るために書店に足を運ばなければならないということなのはわかっている。「わたしは本づくりだけしていたい。営業なんて無理」とずっと思っていたので、出発が遅れた。最初のころは書店に行くたびに本当にめげた。誰ひとり書肆侃侃房を知らないのだから。
出せる本も無名の著者のほぼ初めての著書が多い。どの棚をみてもここに入れてもらえるかなあ、とつい気がひけてしまう。それでも東京や大阪の書店では、名刺を出すと「まあ、福岡からですか。ご苦労様です」と言ってくださる方や、ちょっとだけ手を休めて話を聞いてくださる方も・・・。
今は少しちがう。この、読めない、書けない出版社名「書肆侃侃房」を口にすると「ああ、かんかんぼうさんですね」と言われるようになった。それはみんな、今までこの小さな名もない出版社から本を出してくださった著者と、買って読んでくださる読者のおかげなのだ。
著者がまた、別の著者を紹介してくださることも多いし、突然メールで未知の方から出版の問い合わせもいただく。今は350冊を超えた。作った本は、私家版や編集だけの本も入れればゆうに400冊にはなるだろう。
人と人がつながっていく、この不思議な感覚。もともと、本はそんな役割を担っていることを時に思い出す必要がありそうだ。
変わらぬ光
寒いと言いながら仕事をこなしているうちに、1月、2月と過ぎていき、3月になってしまった。何人かの著者との悲しい別れが思い出させられる。
2009年1月24日深夜に亡くなった笹井宏之さん。笹井さんの消えない悲しみを一体どうしたらいいのだろう。最近やっと泣かずに、ご家族と話せるようになった。笹井さんの歌は「あかるいかなしみ」にみちている、といつも思う。「あかるいかなしみ」なんて言葉があるのかどうか、わからない。「ほんのひとさじ」の巻頭に笹井宏之さんの歌を紹介するために、いつも三冊の歌集を読み返す。そして何度も同じ歌に立ち止まる。短歌とは、そんな役割を担っているものなのではないだろうか。
『ひとさらい』『てんとろり』『八月のフルート奏者』三冊の歌集。この春、『八月のフルート奏者』のオビを変えた。いつまでも忘れないよ、との思いを託したつもりだ。
20008年2月24日深夜、正確には25日0時30分、テレニン晃子さんが亡くなった日だ。幼い柚莉亜ちゃんを遺して去っていった。まだ2歳だった柚莉亜ちゃんは、もう11歳になり、お父さんの仕事の都合で住み慣れた福岡の地を離れる。
晃子さんは、『ゆりちかへ ママからの伝言』を書いて、力尽きた。そこには、幼い娘への思いが切々とつづられている。
わたしの手元には二人の遺した本が変わらぬ光を放っている。
それはさびしさやかなしみではなく、希望であってほしい。
この別れの季節にあってこそ。