生きることの苦さ

このところの寒さと雨で、窓から見える銀杏並木がいっせいに葉を落とし始めた。社内でも、出来上がってくる本と、年末までにやっておきたいことなどがわっと動いていて、いつも以上に落ち着かない。「たべるのがおそい」vol.1とvol.2や今村夏子著『あひる』の動きに気を取られているうちに、新鋭短歌シリーズの3冊が出来上がった。来週には久々の現代歌人シリーズ13光森祐樹歌集『山椒魚が飛んだ日』が出来上がってくる。どんな本もゲラを読んでいたときと、出来上がってきたときとは印象がちがう。新刊書はなんだか、晴れ着を着せてもらった少年少女のように、少し誇らしく、少しはにかんでいるようにおもえるのだ。編集したものにとってもドキドキである。

とくに新鋭短歌シリーズの3冊は、はじめての出版だから、ほんとうにドキドキのはずだ。

佐藤涼子歌集『Midnight sun』は、

 

「見た者でなければ詠めない歌もある例えばあの日の絶望の雪」

 

そのままだと思う。3.11のあの時を詠う佐藤の短歌は胸にナイフを突きつけられている気分になる。佐藤の決して忘れることのできない3.11と、それ以降のハードな日々の思いを閉じ込めている。毎年3.11が近づくと平静でいられなくなる人の歌である。3.11によって人生が変わってしまったのだ。心も恋も。

 

しんくわ歌集『しんくわ』先日、京都で行われた現代歌人集会賞の受賞式で、「『しんくわ』の歌集は出るだけでもう、うれしい」という人に何人も出会った。虫武一俊さんは、受賞の挨拶で何度も「生き恥」という言葉を口にした。歌集を編むこと、人に短歌を読んでもらうことを生き恥と思う感覚に、彼の屈折した思いがこもっている。若い人にとって表現するとはつまり、もしかして、面と向かっては言えない、恥ずかしいことなのかもしれない。

 

虫武さんの歌

「生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている」

 

しんくわさんの歌

 「シャツに触れる乳首が痛く、男子として男子として泣いてしまいそうだ」

 

原田彩加歌集『黄色いボート』働く女性の歌である。

 「スプーンを水切りかごへ投げる音ひびき続ける夜のファミレス」

都心で働きつづける若い女性の姿、孤独感が鮮明である。

 

ベテラン歌人の短歌とちがって、若い人の短歌を読むと、「生きる」ために短歌は必要で、短歌が支えになっていることがわかる。

彼らの短歌に未熟さがあるとすれば、それは生きるということの苦さが、まだ喉元深くにとどまったままだということかもしれない。

「吐き出してしまえ」というのは簡単だけど、それができない「苦さ」なのである。

今村夏子さんの『あひる』がやってきた

出版社をはじめてから、思いがけないことがたくさん起こる。文学ムック「たべるのがおそい」を創刊できたこともだが、そこから今村夏子さんの『あひる』が生まれたこともだ。思いがけず芥川賞にノミネートされたとき、こんなことが起こることもあるのかと驚き、つづけていればこんな恩寵のようなことが訪れるのかとうれしかった。

 

ずっとメールでやりとりしていた今村夏子さんから、初めて電話をもらった日のことは忘れられない。「芥川賞候補」になったことをマスコミ公表するときに、「書肆侃侃房と田島さんを連絡先にしていいか」という問い合わせだった。わたしははじめて耳にする今村夏子さんのちょっとあまくゆったりした声のトーンに魅了された。はい、もちろんですと答えたのだったが、それはまだ、めまぐるしくいろんなことがおきる前ぶれにすぎなかった。

そのとき、あ、この作品を書肆侃侃房で出版することもありうるのだという思いが一瞬頭をかすめた。

わたしは「たべるのがおそい」に寄稿された「あひる」という作品がとても好きだった。それでおそるおそる聞いてみた。「芥川賞に選ばれても選ばれなくても、書肆侃侃房から出版してくださいませんか」と。「えー、ありがとうございます。うれしいです」と今村さんの甘い声が返ってきた。

 

「あひる」は。文章の流れがとてもスムーズで、安心して読めるし、とてもいい作品だが、どんなにゆったり組んでも一冊になるボリュームではなかった。

「もし単行本にしていただくとしたら、作品を足さないといけませんよね。いつまでに書けばいいですか」と今村さんは尋ねた。

寡作だと知っていたので「もしクリスマスプレゼントに間に合えばうれしいけど、無理ならいいです。待ちますよ」とわたしは答えたのだった。「がんばってみます」と、今村さんは言ってくれた。

 

そして、8月31日。まだ途中なのですが……と、今村さんから、二章のつもりという原稿がメールで届いた。「森の兄妹」のほうだ。一章とのつなぎがうまくいかないから一章はあと少し待ってくださいという。ほんとうに9月半ば、こんどは一章のほうが届いた。「おばあちゃんの家」だ。たしかに少しつながりが悪い。うーん、一章と二章をつなぐ何か、か、人かあれば……などとメールでのやりとりが続き、結果的には今の連作短編の形になって、落ち着いたのだった。

読んでいると、ふたつの作品が呼応しあって、とてもいい。

 

今村夏子さんは「おばあさん」や「子ども」の描き方がとてもうまい。読んでいるとおばあさんや子どもたちがくっきりと像を結んでくる。わたしも亡き祖母と対話している気になった。

 

こうして単行本づくりの作業がはじまった。装画の重藤裕子さん、装丁の宮島亜紀さんもがんばってくれて、11月14日に最初の荷物が届いた。今村さんがクリスマスに間に合わせてくれたのだ。書肆侃侃房にとって、素敵なプレゼントだった。

書店と出版社は持ちつ持たれつ

11月5日(土)夜、ブックオカ書店員ナイト「本屋って個人で始めるの大変ですか?」に参加した。書店員の集まりなので書店の話題。トーク登壇者3人とも、最近書店をはじめた独身の若い男性ばかり。福岡、長崎、大分と、規模も場所もさまざまだったが共通しているのは、カフェを併設していること。書籍だけではやっていけないし、とにかく、人に来てもらいたいし、珈琲と本は相性がいい。何より店主が珈琲も本も好き、ということに尽きるようだ。版元との直取引もしているし、取次と取引を始めたところも。書店をやる以上、本の目利きになることが何よりも大事だろう。

こんな人たちがふえて、書店が一つもない小都市に書店が増えるといいと思う。もちろん、お金の問題もあるけど、書店をやろうというのはとにかく、強い決意と意志が必要だといわれた。こうして話を聞きながら、版元も同じだと思う。小さな出版社は、本づくりよりも資金繰り、書店営業に苦労している。いい本を作ったと思っても、書店に本を置いてもらうのも大変だし、本はほんとうに売れない。でも、大手出版社ばかりになれば、最初から売れ筋の本中心になるだろう。ユニークな本はなかなか企画が通らないからだ。小さな版元に頑張ってほしいとつくづく思う。

かくいう書肆侃侃房も、最初の5年、その後の5年とそれぞれ苦労してきた。書店に行っても相手にされないことも多かった。もちろんそんなに露骨ではないが、挨拶だけに終わってしまうのだ。文学ムック「たべるのがおそい」を置いてくれない書店もある。たいていは、いま担当がいないといわれることが多い。それでもめげないことも大事かもしれない。読者がほしいと思う本なら、書店は置かないわけにいかないはずと、ぼそぼそつぶやきながら、書店をあとにする。たまに書店員さんに「書肆侃侃房、知ってますよ。頑張ってくださいね」といわれて、うれしくなることもないわけじゃない。おおむね書店員さんは忙しそうでなかなか声をかけられないけど、こんな時は声をかけてよかったと思う。

昨夜、ついつい、テレビを観てしまった。週刊誌の記者と芸能人がそろう、スクープについてのあれこれがおもしろかったので。事務所の対応次第では、記事内容が変わるとか、お金を受け取ってしまったら、もう記者生命は終わりだとか。駆け引きもおおいという。つまりは、芸能人と週刊誌は持ちつ持たれつということのようだ。

書店と出版社だって、持ちつ持たれつだと思う。書店員が売りたいと思う本を作れよ、と暗にいわれそうだが。

 

                                                                                         

今村夏子さんの新作を、書店に並ぶ前に読むシアワセ

わが社の文学ムック「たべるのがおそい」vol.1に掲載され、第155回芥川賞候補となった今村夏子さんの小説「あひる」。受賞は逃しましたが、選考委員の評価も高く、わが社にも「単行本の発刊はまだですか?」という声も多く寄せられました。

デビュー作「こちらあみ子」以来、今村さんの次の作品が待ち望まれていただけに、この「あひる」は話題を集めましたし、一日も早く単行本を出版したい思いはありましたが、「あひる」は短篇小説ですので、できれば今村さんの次の作品待ってからという思いでした。そしてついに、新しい作品が届きました。

新しい原稿を前にどきどき、わくわく。好きな作家の書き下ろしを、本になる前に読むことができる、編集者だけが味わえるシアワセに、ちょっと心が震えましたよ。

あひるを飼うことになった家族と学校帰りに集ってくる子どもたち…幸せそうな日常にふと差し込む危うさが描かれた「あひる」。おばあちゃんと孫たち、近所の兄妹とのふれあいを通して、揺れ動く子どもたちの心の在りようをあたたかく鋭く描く「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の三篇。

何気ない日常のあたたかな空気に、ふとさしこむ影。読んでいる間の何とも言えない心のざわつき…今村夏子独特のワールドをぜひ!(瀬川)

 

あひる

あひる

 

 

旅から生まれた本

書肆侃侃房の原点はと聞かれて、ふっと詰まった。うーん、名前の由来は自分の詩集を作るときに友人から出た言葉がきっかけで決まった「侃々諤々」だけど・・・・。やはり旅の本かなあと思う。福岡にはたくさんの出版社があって、後発組の書肆侃侃房だったから、他と同じスタイルの出版は無理だと思った。その頃、旅の本は地元の旅本も含めて殆どが大手出版社が取材して作るので、地元はやらなかった。わたしも編プロ時代のノウハウを使えるということもあって、あ、これいいかもと思った。

というわけで旅からいろんな本が生まれた。旅の本はもちろん作りつつ、出会った人と別の切り口の本が生まれる。人との出会いが思いがけない本を生み出していくのを見るのはたのしい。

韓国とは、詩人の付き合いしかなかった。それでソウルに旅するうちに、韓国女性文学シリーズが生まれるきっかけになった。『アンニョン、エレナ』がそのはじまりだが、その前に「コーリング・ユー」という短編を『たべるのがおそい』の創刊号に収録し、「おもしろい」といわれた。『アンニョン、エレナ』には、7つの作品が詰まっている。著者のキム・インスクさんとお会いして、はじめて、韓国文学のあり方が日本と違うことを知った。作家にとって、民主化の激動期に青春時代を過ごしたことがいかに大きいか、キムさんの話を聞きながら、つくづくそのことを思った。心に抱えた闇の深さ。それを見据える目。その目は、読者自身の闇の在り処にも届いてくることを思った。

 

アンニョン、エレナ (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ1)

アンニョン、エレナ (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ1)

 

 

文学ムック たべるのがおそい vol.1

文学ムック たべるのがおそい vol.1

 

 

道下さん、リオパラリンピックおめでとう!

リオパラリンピックの女子マラソンでみごと銀メダルに輝いた道下美里さん。

リオから帰国したときは、福岡空港に押しかけてみんなでお出迎え。彼女は「おかえりなさい。おめでとう」と歓声を上げるラン仲間に「リオにいるときに不安で気持ちが負けそうになったときも、応援してくれるみんなのことを思い出して『私にはみんながついてるから、きっと勝てる!』と自分に言い聞かせました。本当にありがとうございました」と、あの素敵な笑顔で言ってくれ、応援している私たちの胸にぐっとこみ上げるものがありました。

私がみっちゃんこと道下さんに初めて会ったのは2年前。著書『走ることで人生が変わった』で取材させていただいているときでした。市民ランナーのさまざまな想いを聞いて回っているある日見つけたのは、FBに上ってきた萩往還を走っているみっちゃんの動画でした。私はみっちゃんのまぶしいほど美しい笑顔に惹きつけられました。横で伴走しているのは樋口敬洋さんでした。大濠公園でいつも練習している歯医者さんの樋口さんがブラインドランナーの伴走をされているという話は聞いていましたから、「わぁ、この方がみっちゃんなんだ」と、思わず声を上げました。なんとキラキラした笑顔で走っているんだろうと。目が不自由なのにいつも笑顔で楽しそうに走り、周りの人を明るい気持ちにさせてくれる可愛いランナー、みっちゃん。実際にお会いして、ますますファンになりました。

みっちゃんは、膠様滴状(こうようてきじょう)角膜ジストロフィーという病気を小学4年生のころに発症。手術を何度か受けましたが、視力は徐々に落ちてきて、25歳のときには視力のほとんどを失いました。途方に暮れ、後ろ向きの日々を送っていたみっちゃんを前向きにしてくれたのは盲学校で出合った走ることでした。「走ることが後ろ向きの日々から脱出させてくれました。見えない私の日常生活の壁も乗り越えさせてくれました」。私がお会いした頃のみっちゃんは、萩往還70キロを完走し、大阪国際女子マラソンを走り、新たな目標として、リオデジャネイロで初めてできるかもしれないと言われているパラリンピックの盲人女子マラソン出場を目指して練習に励んでいるときでした。そして今回、その念願を伴走の堀内規生さんとともに達成して、みごと銀メダルに輝くという快挙に! 本当に苦しい練習に耐えて、その栄冠を手にしたみっちゃんには、日本中、いや世界中の人々が大きな勇気をもらいました。みっちゃん、おめでとう! 感動をありがとう!

 

いっしょに走ろう

いっしょに走ろう

 
走ることで人生が変わった: ランナー27人の生き方

走ることで人生が変わった: ランナー27人の生き方

 

 

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韓国女性文学シリーズはじまりました

書肆侃侃房の海外翻訳のWoman’s Bestのシリーズで、「韓国女性文学シリーズ」の刊行がスタートしました。一作目の『アンニョン、エレナ』金仁淑(キム・インスク)が先週できあがってきました。金仁淑さんは、韓国で最も権威ある文学賞、李箱文学賞など多くの賞を受賞している作家。7作の短編はどれも面白く、校正をするのがとても楽しくもありました。『たべるのがおそい』創刊号掲載の「コーリング・ユー」で韓国の翻訳小説を初めて読み、この『アンニョン、エレナ』の表題作である、「アンニョン、エレナ」を読み始めて、韓国の小説っておもしろいなと。

さらに続けて、『菜食主義者』漢江(ハン・ガン)/クオン、『生姜 センガン』千雲寧(チョン・ウニョン)/新幹社を読みました。どの作品も読み応えあって、どうしていままで読んでこなかったかなとちょっと後悔...。韓国映画は好きでたくさん観てきたし、翻訳小説も欧米のものなどはちょこちょこ読んできたのに…。韓国の小説はこれまでなかなか読む機会がなく、今回とてもいいきっかけになりました。まだ、韓国の小説を読んだことないという本好きの方に、『アンニョン、エレナ』ぜひ手に取って読んでもらいたいです。

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明日9月22日は、アクロス福岡にて『アンニョン、エレナ』キム・インスクさん、『生姜』チョン・ウニョンさん、新鋭短歌シリーズの監修者の東直子さんの講演会があります。入場無料で、まだ少し席があるそうなので、お時間がある方はぜひ!

書肆侃侃房 » 「日本と韓国の女性作家はいま」講演会のお知らせ

 

また、9月25日には、東京国際ブックフェアやクオンのブックカフェCHEKCCORI(チェッコリ)でもイベントが行われます。みなさん、ぜひご参加ください。

2016東京国際ブックフェア内 韓国文学翻訳院主催トークイベント

 

 

アンニョン、エレナ (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ1)

アンニョン、エレナ (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ1)

 

 

生姜(センガン)

生姜(センガン)

 

 

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)